カナダっていいとこ?

カナダ在住40年余の私に初孫が与えられたのを契機にこのブログを始めました。カナダのことや私の生活のことなどシェアさせていただければ幸いです。

東京・北区西ヶ原の思い出

今、友達から借りている内田康夫さんの小説を読んでいる。前からこの人の推理小説は好きで数は思い出せないが時折、読んできている。なぜこの日本を代表する“旅情ミステリー作家”が好きかというと単純な理由で、彼が私の生まれ故郷と同じ、東京都北区西ヶ原の出身だからだ。今年の春にお亡くなりになったようで残念だ。

内田さんの作品によく西ヶ原が登場する。京浜東北線上中里駅を下車してから上り坂を上がっていくと右手に平塚神社があって突き当りが白山通り(と今は言うのだろうか)で、神社の境内の端に平塚亭という店があり甘い物などを供しているなどという記述を読むと、私は強い郷愁を覚える。ここはまさに私の生まれ故郷であり、カナダに来るまでの28年間はここを中心にして生きてきたからである。

私の生家は今でこそすっかり模様替えをしていて昔の面影は全くないが、4年前に42年ぶりに帰国したおり、訪ねてみたときにそこにまだあった。すぐ隣には40年以上前と同じ隣人家族が健在だった(残念ながら私が知っていたご主人は不在で会えなかったが)。5軒隣の床屋には顔なじみの息子さんがいて故人となった父上の家業を継いでいた。反対側の並びの蕎麦屋では、私がよく知っていた旦那は故人となっていて、彼によく似た息子さんが跡を継いでいた。

添付の写真は4年前に西ヶ原を訪れた時に撮ったもので、1枚は旧古河庭園の門前、もう1枚は私が生まれ育った家があったところで撮ったものだ。私が聞いた話では、古河虎之助男爵という人がこの西洋館形式のお屋敷を建てたときに周りがあまりにも寂しすぎるので、屋敷の塀を少し奥に移して、長屋を建てて人々を住まわせた方がいいと考えたとか。そこで全部で20軒ぐらいの棟割り長屋が大通りに面して造られたのだ。

この旧古河庭園終戦直後、オーストラリア軍の進駐軍本部・宿舎としてしばらく使われていたが、彼らが撤収した後、日本人の管理人一家が入り口近くの一軒家に住んでいただけで、そこにいた我々と同い年ぐらいの息子と内通して我々長屋の悪童(私も含めて)どもが広大な旧古河庭園を自分たちの裏庭のようにして遊びまくったのである。終戦後、荒廃した東京で空襲を免れた私たちは旧古河庭園や平塚神社の境内などで近所の子供たちが連れなんで一日中遊びまくった。テレビもゲームもスマホも何もない時代だったがみんな生き生きしていた。

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